考えるタネと物のミカタ

たくさんの物の見方から、考えるタネが生まれて

記憶は借り物。脳腫瘍や認知症で記憶障害と戦っているご家族の方へ。

 人に限らず生あるものはやがて死を迎えます。

 老衰でお亡くなりになる方や、病気を患って長い闘病生活の末に命を落とす方、交通事故で亡くなる方もいらっしゃいます。自ら命を絶つ方も残念ながら多いのが現状です。死の迎え方は人それぞれです。どんな形にしても死を免れることはできませんから、生ある人は死の悲しみに向き合うことから逃れることはできません。明治時代40歳代の寿命が、人々の健康意識や医学の発展によって、現在では80歳代を超え、生から死への移行には多くの時間を頂けるようになってきました。しかし、伸びた生の時間は、ご本人が苦痛を伴う闘病生活もあれば、ご家族の方の理解や介護を要する場合など、必ずしも平坦ではありません。本来であれば、生は喜びなのですがうまく受け止められずに、ストレスに感じてしまう方が多いです。私もその一人でした。

 

父の脳腫瘍が発覚

 私の父の脳腫瘍が見つかった時には既に末期でした。様々な他覚症状も同時に患っていた糖尿病からくるものと本人も家族も思いこんでいましたから、発覚した時には進行が進んでおり、医師から告げられたのは余命1ヶ月でした。すぐに大きながんセンターに入院したのですが、急に変化が表れます。それまでは普通に生活していた父が、病院入院当日からトイレから帰ってこれなくなり、その後も要介護認定の為に市役所からきた方とのやりとりを見て、季節がわからない、今いる場所がわからない事も分かり、「認知症」に近い症状が出ていました。記憶や生活習慣を忘れ、常識からずれている行動が目立ってくると、入院中はそれほどでなくても自宅療養をしている間は家族の理解と協力が必要不可欠になります。最初の頃は悲しくてなんでも助けてあげようと思っていた気持ちも、時間が経つと慣れてきて体力も使っていますからストレスに感じてきてしまう方も多くて、コミュニケーションの取れない相手を前に自暴自棄になります。私も父の横のソファーで寝て、父のおむつをかえたり、食事を口に運んだりしていましたが、母や家族の心身の健康も不安になってきました。どんどん記憶や生活習慣を無くしていく父を前に、今起こっている現象理解しようと努めました。

 

記憶を無くすということ

 人は最初何も持たないで人生をスタートします。知識も記憶もまっさらで、自分を表現する方法も知らないし、もちろん常識もありません。これからの人生で必要な知識・技術・能力など様々な物を、この世の中から借りていきます。借りたものは返さなければなりません。だから人生を終える前には、返さなければならない。終える時にまとめて返すやり方もあけれど、父は、人生を終える前に、この世に借りていたものをご丁寧にも一つ一つ返していたのだと理解をしました。

 

それは受け止められる

 介護する側と介護される側、いずれも本当はこうしたいという理想があります。でも人は感情の生き物ですから理想とは全く違う行動をしてしまう時があります。でも受け止め方一つで楽になります。感情の生き物ですから。