考えるタネと物のミカタ

たくさんの物の見方から、考えるタネが生まれて

旅先で偶然であう本は特別に思えてしまうから買ってしまう

 今日は4つの本にであった。2つは訪れた金沢の21世紀美術館のショップにおいてあった本。 

陰翳礼讃 (中公文庫)

陰翳礼讃 (中公文庫)

 

 

文房具56話 (ちくま文庫)

文房具56話 (ちくま文庫)

 

 

もう2つはその帰りに立ち寄った古書店のオヨヨ書林で見つけた岡潔先生の2冊。

 

春の草 (日経ビジネス人文庫)

春の草 (日経ビジネス人文庫)

 

  

紫の火花 (1964年)

紫の火花 (1964年)

 

 

 「陰翳礼讃」と、「文房具56話」は美術館という雰囲気に合わせたお店のセレクション。きっと、街なかの普通の本屋さんで見かけても素通りするか、目に止まっても購入するまでには至らない。だけど、美術館という特別な場所では、自分の気持ちも押し寄せるであろう怒涛の感情や湧き上がるだろう感動を受け入れるべく大手を広げているからなのか、感性が敏感になっているのか、見るもの一つ一つが自分にとって意味あるものに見えてくる。その中で手にとるまで至った本はきっと自分に意味がある、と思ってしまって購入してしまう。普通に出回っている本で、後々買えるのにだ。

 あとの2つは、私の好きな岡潔先生の書籍。読書マニアでも古書マニアでもない私が古書店にはいっても、正直ほとんど背表紙の題名や著者に目が止まることもなく、只々目が泳ぐだけである。そういう中では自分が気にしているモノが突然目に飛び込んでくる。飛び込んできた一つ「紫の火花」はいまは絶版となっている。もう一つの「春の草」は今でも文庫本で手に入るが、この古書は幾つかの場所に前の所有者が線を引いている。私はそこに一人の著書を介して出会う私とは違う人の感性を得ることができると思っている。

 

 今日もまた本が増えてしまった。積読を減らすといっておきながら。暫くすれば読書の時間も増やすことができる。今はそれが楽しみだ。