考えるタネと物のミカタ

たくさんの物の見方から、考えるタネが生まれて

天才の思考回路を「風立ちぬ」から考える。

 
 映画「風立ちぬ」で描かれている堀越二郎さんについて考えてみたい。
 実際の堀越二郎さんをモデルとしているものの、性格も違うかもしれないので、あくまでも映画の中で描かれている堀越二郎さんが対象です。
 

二郎さんは冷静?

 二郎さんは優しい青年と描写されているけれども、私には大きな違和感を感じるんです。例えば、菜穂子の状態が悪くなって二郎がすぐに電車に乗って駆けつけるシーン。私だったら、「電車の中では菜穂子の病状はどうだろうか」、「この先どうなるだろうか」、「菜穂子のためにしてあげられることは何だろうか」、と考えて、食事も喉を通らず、パニックで何をしてよいか分からない状態だろうと思いますが、二郎は電車の中でも冷静に飛行機の設計をし続けます。これは私には理解のできない行動なんです。
 
 

二郎さんにとって仕事とは。家族とは。

 一方で、これは菜穂子に対する愛情なのか、と捉える事もできる場面でもある。ここは二郎が初めて菜穂子にあった思い出の場所であることに注目したい。設計仕事をするのであれば客車内にいればよいものを、あえて菜穂子との思い出の場所に居る。天才の考えることは分からない。飛行機への愛情と、彼女への愛情が同居しているというのか。イコールだというのか。
 
 

天才にはなりたくない

 限りある菜穂子の今にも消えそうな生命と、限り無い未来を切り拓く飛行機という技術の描写。消えていく菜穂子の命を、生まれていく飛行機技術に吹き込む作業をしていたのか。単純に、限りある生命よりも、限りない技術へ傾倒していたのか。天才の考えることは分からない。
 
 天才というのは多くの人は幸せにするが、一番身近な人を幸せにしないのか。
 もしそうなら、私は天才にはなりたくない。