考えるタネと物のミカタ

たくさんの物の見方から、考えるタネが生まれて

【エッセー】本嫌いが文庫本好きになったワケ

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 私は文庫本が好きだ。以前に友人と単行本と文庫本のどちらが好きかで論争になったことがある。その友人は大きな本で悠々と読める感覚があるからハードカバーの単行本が良いという。私の場合、あの小さくて可愛らしい文庫本がなんともなく好きなのだ。

 
 一時期Kindleに憧れたのだが(もちろん未だにその体験をしたいと思っている)、どうしても頁を捲る所作は、一呼吸置いて次の物語への気持ちの準備をするためにあると思っているし、栞を挟む事が一旦物語から抜け出す、うまいきっかけになっているからである。
 
 本好きかと言われると、今は、である。小さい頃は活字が嫌いで、どちらかというと絵本の方が好きだった。読書感想文の宿題も文字数が少ない詩集を選んだくらいである。小説や文学作品を捲るとそこにある活字の波に溺れてしまう。これは今でもそうだが、読み始めて数行経ったところで、読むのをやめようかなと読みながら考えているから、同じところを何度も行ったり来たりして先に進めない。
 
 その本嫌いが大人になって一転、本好きになった。本来なら言葉にならないはずの感情や情景を巧みに表す言葉の魅力に気付いたのである。特に文豪と呼ばれている人たちの作品は芸術である。私たち人間に許された言葉という表現手段を、今からでも遅くはない、と磨いていこうというわけである。
 
 さて、なぜ文庫本か。単純に携帯性に優れているからである。いつも身近にあると愛着も湧く。頁を捲る部分が黒ずんでも、カバンに入れて端が折れても、それが単なる書籍から一歩も二歩も進んで、自分にとって違う存在になる。だから今では半分お守りのように読む時間なんか無いくせに鞄に忍ばせておく。目に見えない心のアクセサリーみたいなものだ。文庫本も出版社によって様々な違いがあるが、それはまた別の機会に触れたいと思う。
 
今回はこの辺で。